ソフトウェアエンジニアリングコミュニティの未来をどうしたいのか

昨日あるカンファレンスの前夜祭に行ってきたんですが、そこで首をひねるトークがありました。

聞いていてまず思ったのが「ここはそういうことを話す場ではないだろうな」でした。このカンファレンスは技術的な縛りは何もなく、また前夜祭でのトークは少し短めでお題もカジュアルです。

技術的縛りの一切ないカンファレンスともなれば、日本のソフトウェアエンジニアリングコミュニティに広く影響を与えるだろうと思います。そのような場で、人間の個人差を強調するような話を、さらにそのための技術的支援を作ったという話をすることが、コミュニティを良い方向へ導くでしょうか。

人間同士を結びつけるのではなく、むしろ差を際立たせることを目的とした技術が当たり前のものとして広まることは、社会をより良くはしないのではないでしょうか。

そのような技術が当たり前に受け入れられるコミュニティや社会を私たちは目指すべきでしょうか。最大公約数的な見方をすれば、あらゆる人間が存在を肯定され、人権の衝突ができるだけ不幸の少ないように解決される社会がいいのかなと思います。となれば、これらの課題に対処するコストを下げ、現実化するために技術を発展させていくのがよいのかなと思います。

その過程で、エンジニアリングコミュニティが人間の分断を固定化する技術を何の留保もなく受け入れ、広めることは、社会にとってコミュニティが「よくないもの」として見なされることを促してしまうと思います。