上司アンチパターン

前提として、人間はある組織の一員である以前に、その組織の外に独立した生活をもつ自由な人間である。

また、個人は自身の人生における成功とか目的の達成に関して最終的な責任をもつ。決定権を持つのは君自身ってことだ。もちろんGDPが伸び悩むとかそういうことにあなたが責任をもつという意味じゃない。

このチームならミスしても大丈夫、だからリスクもとれる、というのが心理的安全性。いわゆるカルチャーマッチを構成する要素の一つ(だと勝手に思っている)。

心理的安全性があるチームでは、どんどん新しいことに挑戦できるし、隠し事をする必要もない。自律的に動けるようになる。いわゆる自走するチームになれる。

逆に、何か失敗したり些細なルールを破るたびに短気な上司に怒られるチームはどうだろうか。仮にその上司のことを個人的には好きな人でさえ、叱られまいとコソコソ仕事するようになるだろう。そういうチームで、競争相手の先を行く良い仕事ができるだろうか。僕はそうは思わない。

以下は Camille Fournier の『エンジニアのためのマネジメントキャリアパス』から、「すごい上司、ひどい上司」と題された複数のセクションのうち一部の内容を要約したもの。

エンジニア以外の職種でも多分みんな人間なので、適用できる範囲はそう狭くないと思う。

アルファギーク

頭の回転が速く凄腕、技術力が高い。しかしこだわりや「自分こそチームで最優秀」志向が過度に強いので他人をほめない。「議論と人格は分けるべきなんだから、正しい主張なら言葉遣いがどれだけ荒くても問題ない」という人。

Windows NT 開発の技術的指揮を執っていたころの David Cutler みたいなもんである。

メンタリングを通して人の学習を導く視点を得られればアルファギーク気質を脱する機会はあるが、それでもだめなら人の上に立つべきでない。技術だけを任せ、人のマネジメントにはかかわらせないほうが本人と周囲の両方にとって利益になる。

自分の上司がアルファギークで、チームの一員に有害な言動をしていたら?その場でただちに、「部下にそんな話し方をしないでください。失礼です」と指摘すべきだろう。上司が部下を人前で攻撃することのメリットはまったくない*1が、上司へのフィードバックは部下にとって当然の務め。

しかし尊敬できない上司がいつまでも変わろうとしないなら、自分がチーム異動か退職する。上司を変えられないのはしかたないので、一緒に働くことに利益はない以上場所を変える。

万一、優秀でもないのに有害な言動をする人が上司だったら?一目散に逃げ出すべきだろう。もうその船にねずみはいない。

プロセスツァーリ

几帳面で、手順に忠実。アジャイルの対極。「この方法でやりさえすれば失敗しない」と思い込む。失敗が怖いから。

失敗しても大丈夫ですよと語りかけよう。手順を使うにしても個々人が自分で調整できる、ゆるい環境を構築する手助けをしよう。ルールを破ったからというだけで同僚が批判されることのないようにしよう。

マイクロマネージャ

微に入り細を穿つマネジメント。新人エンジニアにとっては良いが、いつもマイクロマネジメントしてるようではよろしくない。部下を信頼していない。チームの自律性を奪ってしまう。

良い上司はどこで顔を出せばいいのかを部下とよく相談する。いざというときに力になってくれる。任せ上手が良い上司。

恐怖による支配

部下を人と思わない。効率厨。「議論と人格は分ける」のはいいのだが、上司に向かってそれができない人も普通にいるので恐れられてしまう。一見、恐怖の文化が支配していてもうまくいっているように見える会社はよくあるが、良識ある人間は転職する。何か問題があっても、恐怖に支配されたチームはそれを乗り越えられない。

このあたり、『ティール組織』に載ってたような気がする。赤い組織。

良いチームをつくるには

アルファギークを除けば上記の例は、管理者なら誰でもなりうる。特にプロセスツァーリやマイクロマネージャは、上司として失敗できないという自負から陥りがちなんじゃないかと思う。

自分が上司である場合の起点は、チームの一人ひとりと心を通わせること。

自分の上司がこのような「ひどい上司」だった場合、それを指摘するのは当然だが、上司を変えようとまでしなくていい。それは受け入れるしかない。変わらなかったらチームをただ去るのみである。

*1:例外はあって、それはブリリアントジャークがチーム全体に有害な言動をしたとき。つまりアルファギークが自分の部下であるケース